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私が抱きしめる

来月2歳になる娘は生後2ヶ月から積極的に外に連れ出し、たくさんの人に抱っこしてもらいました。

私は幼い頃、あることがきっかけで人見知りになって、長い年月、大事な時期を寂しく過ごしてしまったので、

「人は敵じゃない、抱きしめてくれる存在だ」

と感じて欲しかったからです。

なので、いまではスーパーなんか行くと、自分から知らない人に抱っこしにいったりします。

でも当然拒否られる事も多く、そんなときはキョトンとします。

「もしキミが、世界中の人間から拒否されても、お父さんが抱きしめる。」

「笑っているときも、泣いているときも、抱きしめて一緒に感じて、決してひとりぼっちにしない。」

玄関を開けると笑顔で胸に飛び込んでくる娘を胸に抱きながら、当たり前かも知れませんが、いつもそう思います。

もちろん家内も同じだと思います。

しかし、さきほど「ハッ」と、哀しいことに気づきました。

あ、そうか、いつかは私が娘から拒否られるんだなぁ、

抱きしめるのは、いつか、私じゃなくなるんだなぁ、と。

きっと多感な時期を迎えれば、ふさぎ込むこともあるでしょう。

親に秘密にしたいことのひとつやふたつ、抱えるでしょう。

そんなとき「おいで」なんて言っても、見向きもせずに彼女は自分との戦いを優先するでしょうし、優先してほしい。そしてそれを応援したい(ただ、その時、きっと、私はサビシイw)。

こちらから入り込んで、彼女の戦いの邪魔をしてはいけない。

遠目で目を離さず、心の中で、幼いままのキミをしっかりと抱いていようと思います。

そして、彼女が試練を無事乗り越え、彼女のことを大事に思ってくれる人に強く抱きしめられたとき、思い出してくれたらいいな、なんて。

彼女が、我が子を抱きしめるときに、思い出してくれたらいいな、なんて。

そして抱きしめてもらえる幸福を知らない人たちに

「私が抱きしめる」と言える人になって欲しいな、なんて(望みすぎか)。

幼い頃に、抱きしめられ、抱き留められ、

「この世は安心なんだ」

「人は私を受け止めてくれる」

と感じることはとても重要です。

幼い頃に抱きしめてもらえず、この世に安心感を抱けなかった人たちが私の元に訪れます。

本来抱えなくてもよかった悲しみを抱えて。

差し支えない範囲で、私が受け止めます。

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