こんにちは。ココロ研究所所長の川端康稔です。
今日はTwitterのツイートでは収まらないので久しぶりにブログを使います。

さて、昨今、ビジネスや人生哲学、巷には様々なスキルや理論が溢れかえっています。私の日々行っている心理カウンセリングやセラピーの世界でもそうです。
しかし高額な授業料を払って理論やスキルを修得しても、全く身につかなかったという方は多いのではないでしょうか。
なぜなら、実は本当に必要なことはどんなスクールでも教えてくれないからです。いや正しくは教えるのが困難、ということかもしれません。
「当研究所ではその点バッチリ教えています!」
…ということを言いたいのではありません。
当研究所でも催眠技術を習得した生徒さん達の中で、そこに気づいてくれる受講生は一握りではないかと感じています。
ならば、教えても意味ないじゃないか、と思うこともあります。
実際、かのお釈迦様もその昔そう考えたそうです。
お釈迦様が厳しい修行の末、悟りを得た際、悟りの内容を世間の人々に語り伝えるべきかどうかを一ヶ月間にもわたって考えたそうです。
で、その結果、
「法を説いても世間の人々は悟りの境地を知ることはできないだろうから、語ったところで徒労に終わるだけだろう」との結論に至ったといわれています。それでもお釈迦様のもとに梵天という人が現れ、何度も何度も根気よく教えを乞うた結果、ようやく教えてくれました。梵天さんがいなければ仏教はこの世に存在しません。梵天さまさまですね(私は神主ですが…)。
つまりどのスクールにおいても、教えても理解できないだろうから、教えない、ということで本当に重要な肝の部分を教えない人は多いのです。なかには講師自身がその部分を知らない場合もありますし、マジシャンやメンタリスト達のように、ビジネスの競争を怖れて口外しないということもあります。
その肝の部分とは何か。とても単純です。しかもこれを知っていれば他のどのようなことにも応用可能です。さらに言えば、世に成功を収めている全ての人は、この肝を体得しているからこそ成功していると言えます。
まず重要なことは、
「理論やスキルは二の次三の次」
ということです。理論やスキルを学びに来ているのにおかしいじゃないか、と思われるかもしれませんが、肝を抑えずにこれらを追い求める人は必ず失敗します。そして後悔します。知識は自分を救ってはくれないのです。
2,500年以上も前に生きてなお健在の孔子先生も、
「学んでいよいよ苦しみ、極めていよいよ迷う」
ということを言い残しています。無駄に多い知識は自らを苦しめ迷わせるだけです。
思い当たることがあると思います。理論やスキルではこの肝は埋まらないのです。肝を体得していないと全てを知り尽くし修得しても機能しません。
では、その肝とは何か。
「感謝」です。
えっ!?くだらない、と噴飯した方もいるかもしれません。
しかし、そう感じた方はどうですか?感謝を感じていますか?あらゆることがウマくいっていますか?
世の中が暗いと感じる方々のなかにも、暗い世の中だと嘆くだけでなく、自らがかすかながらも光になろうとしている方はスキルの修得がズバ抜けて早いし、理論を縦横無尽に応用できます。
もちろん、理論やスキルが無意味だと言っているわけではありません。学び続ければそれなりのモノには必ずなります。
しかし、ホンモノにはなれません。器がないので「これだけのモノを学んだのに!」と理想と現実に悩み苦しむのは目に見えています。
「謝学行続」という言葉があります。
土台や軸に「感謝」があり、その上で「学び」、且つそれを「実践」し、その姿勢を「継続」してこそ始めてホンモノになるという、宇宙の神様からいただいた言葉です(なので私の造語といった方が正しいです)。
現在の教育は「学行続」であり「謝」が抜けています。
教育に一番欠けているのは感謝であることは間違いありません。
親や先生自身が、ストレスにまみれ、感謝する余裕がないのが原因です。
では、感謝できるよう努力しろということなのか、というとそうではありません。
感謝は努力して会得するものではありませんから。
通帳を見て残高が100万円あったとして、
あと199万円しかない…と感じるか、
まだ100万円ある、と感じるか、
あるいはいくらであっても感謝するか、はその人の心が決めます。
物理的には、残高100万という額には、もともとそれ以上の意味も、それ以下の意味も元々ありません。ただ残高100万円という厳然たる事実があるだけです。
感謝ができないことを環境や社会や他人のせいだと思い込んでいる人がいますが、それは完全に間違いです。感謝を感じるのは自分の主観ですから。他人にはどうすることもできません。
元々何の意味も無いことに、どんな意味づけをしながら日々生きているか、生きてきたか。
どんな意味づけを積み重ねた人生を送ってきたか。自ら振り返ってみましょう。ひいき目に考えたり、自分に同情したりせず、ちゃんと振り返ってみるのです。
自分がここにいること、これだって元々何の意味も無いことです。
ただ宇宙の一生命体、一物質として存在しているだけです。ただの宇宙の一部です。
自分という小宇宙のなかにも、37兆個もの細胞、生命体が、ただ、存在しています。
その宇宙に対し「感謝」という意味づけをしたら、それは強いでしょう。
命が感謝で溢れると、もの凄い光を発します。光には光が集まってきます。
あえて損得でいえば、感謝の積み重ねをした方が得ですよね。元手もかからないし。
そんな積み重ねをしている人は、なんの努力もしなくとも不思議とお金が集まってくるし、周囲からの援助か集まってきます。
このような人が理論やスキルを得るからこそ絶大な力を発揮するのです。
なんだか神社の講話のようなお話になりましたが、感謝のメカニズムと感謝の心を養う方法を知りたい方はココロ研究所へ…いや、佐谷田神社へ…?
どちらでもw