こんにちは。
所長の川端康稔です。
今日は「正直に生きること」ということについてお話しします。

「何もかもがウマくいかない…」
そう感じる方は、自分に正直に生きられていない可能性があります。
自分は二人います。すり込まれた常識や考え方によって存在する社会人としての自分と、赤ちゃんの時から変わらない現実に感じるままの自分です。
あの人のために、会社のために、社会のためにと、○○のために生きることは確かに尊いことかもしれませんが、尊いかどうかよりも大事なことがあります。
それは、
「そのために生きることによって喜びを感じているか」
ということです。
つまり、
無理をしていませんか?
ということですね。
無理をしている場合、すなわちそれは「嘘」ということになります。
自分が本心から望み、実際に行動したり所属したりしてみたけれど、実際には自分の思ったものとは違った、という感じることはままあることです。
その時に、何かを気にして、例えば人間関係を気にしてその行動をやめられないのは、
「人間関係を大事にしている」
というより、
「人間関係を気にしている」
からである、ということができます。
「気にしている」のは「嘘がバレる」のを怖れるからです。
我々は、他人のために生きているのではありません。
あくまで自分のために生きています。
他人に何かを施すときも、満足感の対価として施す価値を感じたから施すのです。
実際に行動したとき、その内情を知り、価値が感じられなくなったのであれば、そこから離れるべきです。本心が望まない以上、そこから先、良いモノは何も生み出せません。
人間は社会的動物である以上、当然、他人に感謝されたり評価されたい、という思いがあります。
その気持ちを満たすために行動することが、我々の性とも言えるでしょう。
しかし他人から感謝されたい、というのは打算的であり、やはり嘘です。
嘘が土台では、感謝されるのは逆に難しいでしょう。
社会の呪縛から逃れられず、たまに感謝されたり、評価されたり、という出来事に心を慰めていても、嘘をつき続ける以上何も良いことは起こりません。総合的に考えたら人生にとって大きな損失です。
また、自分に嘘をつくと、他人の目が気になるようになります。
やりたくもないことをやっているので当然愚痴も多くなります。
自分が本当にやりたいことを探しあてることは大変なことです。
敵を作ることもあるでしょう。
しかし一度しかない人生において、不必要に我慢したり、諦めたりするのはとてももったいないことであり、ナンセンスです。
自分が本当にやりたいことができていないならば、今はそれを探し当てるまでの過渡期だと考えたらよいでしょう。
自分が喜びを感じながら行えることのみをする。
喜びを感じられることを今後も探し続ける。
そこにたどり着くまでは、アドラー心理学で言われるところの「嫌われる勇気」を持ち続けることです。
他人の理解を求めるために生きている人は信用できません。
自分を理解しようと努力し続ける人だからこそ信用を得るのです。
まずは自分のココロを理解しましょう。