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絶対に良くなる!

細胞の一つ一つが前を向いて生きています。

以前に養老孟司氏の「心は存在しない」を紹介しましたが、もっと丁寧に心についてお話ししたいと思います。

解剖学的には存在し得ない「心」も、「私」と言い換えれば存在することになりますね。

では「私」ってなんでしょう。

手だけあっても「私」とは言えず、下半身だけでも、首から下だけがあったとしても「私」とは言えません。逆に脳だけであっても機能さえしていれば「私」であり続けることはできます(コミュニケーションのない仮想現実の中で生き続けることにはなりますが…)。

そう、「私」が物質社会で個体として存在することを意識できるのは「脳」が機能してくれているからです。

そんな脳がしていることと言えば、五感を認知し、情報処理し、過去の情報と照らし合わせながら選択・判断し、行動に移すということです。

「青い空、照りつける太陽、時折やさしく頬にそよぐ風、潮の香りに波の音…」

これだけで海を想像できる人は、過去の記憶と、それによって得た結果による学び(経験)が残っている人です。

残念ながらもともと視覚のない方には「青い空」を知ることはできず、触覚のない人は風の心地よさを感じることは出来ません。なのでこれらの言葉で海を想起できるのは、その感覚と経験の記憶が残っている人に限られます。

なので脳が正常であっても、情報を得るための神経や、栄養補給のための内臓、体を支えるための筋肉や骨がないと「私」は生きにくくなります。

逆のことも言えます。

五体満足であっても、脳機能に少しでも異常があると、情報処理がうまくいかず、やはり生きにくい。

さらに、脳機能や肉体全般に異常がなくとも、認知の誤解や信念(事象の捉え方)に歪みがあると、これまた生きにくくなるのです。因みにこれをイラショナルビリーフといいます。

ここまでをまとめて「私」とは。

身体から伝わる情報に脳が感じ、判断し、結果として分泌される神経伝達物質やホルモンの働きが「心」であり、その活動の連続が「私」ということになりますね。

さて、そんな「私」はどのように構成されているかと言えば、脳と五体と五臓六腑をつなぐ神経や血管、それらを形成する組織、組織を形成する細胞、細胞を形成する分子、原子…。細胞だけでも60兆個あるといわれる人体ですが、それらが軍隊のように一糸乱れず脳の指揮の下ひとつの「私」全体を作り上げています。

アメーバやゾウリムシのような存在でも60兆個集まって完全かつ高度なチームワークを組めれば人間のような存在たり得るのかもしれませんね。

ここで重要なのは、複雑な情報処理など遠く及ばない、か弱い細胞たちも、常にひとつのことだけはあきらめずに考えているということです。意思と言ったほうがいいかもしれません。

それは「生きる」ということです。なにがあっても生きようとします。そしてどんな状況下にあっても常により良くなろうとしています。とにかく生き残ることしか考えません。そもそもそれ以外の選択肢がありません。

「私」とは、これだけひたむきというか、健気な細胞の集合体です。

ここで矛盾が生じますね。そんな積極パワーの集合体の「私」なのに、なぜ消極的な感情がおこるんだろう、と。

もし今あなたの「私」に、あきらめや絶望があったとしたら、実はそれはあきらめや絶望ではなく、体内の何かが傷つかないように護ろうとしているんだ、と考えてみてください。

実際に動物は、ストレスが感じたとき、アドレナリンやコルチゾールといったいわゆるストレスホルモンを分泌させ、筋肉や血管の収縮で痛みを感じさせます。これが心の痛みの原因です。度が過ぎると細胞や遺伝情報を傷つけ、最悪の場合ガンになることもあります。

先ほどの海の例で、海を想起できても、同時に爽やかさを感じたり、楽しさの感覚を思い出す人が一方で、海で別れた哀しみや怒りや絶望を感じる人もいるはずです。

これは脳が強烈に残った想い出当時にさかのぼって言葉や事象を判断してしまうからです。時は流れ、成長した現在の自分であるかかわらず、あるキーワードを想起すると当時の自分に退行し、当時の能力で判断し、同じように感じ続け、そういうものだと思いつづけてしまうのです。

あきらめや絶望とは、そんな当時の自分を護るため、もう二度と痛い目に遭わないで生きるための防衛手段なのです。

いまわれわれの目の前に起こっていることは、それがどんな出来事であったとしても、それ自体にはもともと意味はありません。意味づけをしているのは自分自身であり、自身の過去なのです。

じゃあずっと苦しい思いで生きていかなければならないのかといえば、そんなことはありません。

われわれは新たな意味づけをすることで、今を生きながら生まれ変わることができます。

「昔はこんなとき、こんな風に感じるのが当然だと思っていたが、いまは全く逆のこんな風に感じる…」この生まれ変わりは過去を手放すことで、自分自身で今すぐにでも起こせるのです。

生きた果ての死よりも、死んだように生き続けることの方がよっぽど辛いことです。

重ねて言いますが、われわれには「絶対に良くなる力」が備わっています。万人に平等に備わっています。

本当に極端な言い方ですが、万が一ダメだったとしても、誤解を怖れずに言えば「最悪でも死ぬだけ」なのです。

誰がなんと言おうと「私」の人生は「私」のもの。「私」が感じ、「私」が決め、「私」が動き、「私」が生きるのです。何を感じ、何を決めるかは生物平等に、誰の縛りもうけません。

今を生きるのが辛い人は、きっと知らず知らずに我慢をして、多くの「誰か」の人生を生きようとしてきた心の優しい人でしょう。または自分が本当に望んでいることがなんであったか、不本意な現実の捉え方によって分からなくってしまった人でしょう。

なにはどうあれ、それでも、細胞は生き続けます。

細胞は美しく咲く花と一緒。きょうは雨だから咲くのやめよう、なんて考えません。誰がどうだからとか、お金がないからとか、相対的に生を考えません。

一つ一つがただただ生きるために生きています。

「私」達の人生はとてもシンプルです。宇宙も地球もクジラも象も細胞も、ただ生きる。

人生は、背負うのではなく決めること。

「いままではこうだった」という荷を降ろし「これからはこう生きる」と決める、この連続です。

その絶対の生にさえ従えば、あらゆることはますます良くなっていきます。

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